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大学生6年目。来年からやっと雇われます。

意識高い系がなぜ嫌われるのか考える

はじめに

そもそも意識高い系とは個人のとらえ方によって定義が変わってくる言葉であり、私の勝手な判断で「これが意識高い系である」と決めることはできない。

 

しかし私の中で「意識高い系」とカテゴライズされた人間は間違いなく存在し、その特徴は他の方々が意味する「意識高い系」と大きな違いはないといえるであろう。

 

私はまだ学生であり、社会人の意識高い系と関わることが極めて少ない。よってこの記事で言及するのは「意識高い系大学生」である。

 

よくある意見として「意識高い系」と「本当に意識が高い」は別で後者は尊敬に値するというものがあるが、私自身は後者のカテゴライズをわざわざする必要はないと考えているので、今回は触れない。その理由として後者はただ意識を高く持つ「優秀な人」で片付けられるのであるから。

 

つまり何が言いたいかというと、私の中の「意識高い系」は少なからず過去に私から嫌われている存在で「あった」ということだ。じゃあ今は違うのかというとそれは後述する。

 

 

意識高い系の定義

ではここで一度、「私が考える意識高い系大学生」を定義してみたい。

 

意識高い系大学生とは

自分のありたい姿を高く設定してそれを周りに公表する。そのために行った活動やその実績をSNSなどに長文で拡散している。公表する文章はどこかポエム的で且つ当り障りのない表現をしている。またその活動は主に「社会人のお偉いさんと食事をした」だとか「インターンで優秀な学生に出会った」とか「イベントを企画して人脈を形成した」などといった他人からの影響系が多く占め、更にその相手から大きな刺激を受けがち。また、以上のように普通の学生よりも貴重な経験をしているかのように見えるが、SNSでの発言と実際の行動が一致していないような感覚を覚える。

 

 

まあざっとこんな感じである。では、なぜこのような学生は嫌われがちなのかと私個人の経験から憶測する。

 

 

意識高い系大学生が嫌われる理由を考える

1.「俺ってすげえだろ」という自己顕示欲が鬱陶しい

そもそもFACEBOOKにて「近況」だとか「報告」だとか言う名目で長文を投稿しがちだが誰も興味がない、目障りである。しかもただ長いだけの文で読んでいても面白くない。え?このブログも面白くないって?それはいま関係ないので後で反省する時間を頂けないだろうか。

 

つまり、目標達成のための行動が「自分を大きく見せるためのアピール」の手段になってしまっているということである。

 

 

2.ほぼ同じ位置から見下してくる

おそらく友人に「意識高い系大学生」がいると、彼らと最近会った出来事なんかを話し合うことがあるかと思う。その中で(1)のような自己顕示欲を放ち、且つ自分の行動と我々の行動とを比較してくる。人はとにかく自分と他人を比べてランク付けをしたがるからだ。そして優越感に浸る。

 

しかし彼らは言ってることとやってることが伴っていないので、見下されている側からすると違和感がある。同じ土俵に立っているのに上から見ようとしているからである。見下されることに苛立ちを覚えるのは当然だが、それと並行して「いやお前も大概だろ」という感情も湧いてくる。

 

 

3.やってることに個性がなく量産型で見飽きている

大体みんなやっていることが同じであるということ。イベント企画とか人脈形成とかもうね、見飽きたわと。加えて、他人の目を気にしすぎているからなのか嫌われたくないからなのか、当り障りのない言動に収まっており、個性が感じ取れない点に対して疑問に感じる。

 

また他人から影響を与えられるだけで自分からは与えない主義。お前はペラペラか、と言いたくなる始末である。ギブアンドテイクが大切だ。

 

 

4.行動力に対する嫉妬

3番目の項目までは批判してきたが、彼らの行動力は平均的な大学生よりも高いと感じる。我々「意識高い系ヘイター(Hater)」は彼らの行動力に嫉妬している、と私は分析する。つまり彼らに対してライバル視をしているのだ。そう考えると以前よりも嫌悪感はなくなってくるのではないだろうか。FACEBOOKで長文を見ても、無駄にストレスを感じることが減るかと思う。形は歪でも他人の努力を否定することは間違いであると気付くことが必要である。

 

ちなみに威勢だけで一切行動が伴っていない学生は「意識高い系大学生」ではなく「ただのクズ」であると認識してもらって問題ない。 

 

 

彼らが優秀な学生になるには

では「優秀な学生」と「意識高い系大学生」とでは何が違うのだろうか。私は、「とりあえず人と会っておいたら誰か引っ張ってくれるだろう」という人任せの姿勢と、周りの目を気にしすぎて尖りきれていないことだと考える。そもそも一部の天才を除き「優秀な学生」は、目標のために行う行動一つ一つに明確な目的を持ち、それを達成するためには他者の評価を気にしない精神力がある。アイデアも個性的である。「意識高い系大学生」とは違い、とりあえず「たくさん人と会ってたらなんとかなるだろう」みたいなぼやっとした動機では行動していない。

 

つまり「意識高い系大学生」は行動力や威勢はそのままキープし、今まで取ってきた行動に明確な目的と個性を取り入れることで優秀な学生へとステップアップするのではないだろうか。

 

私も優秀な学生に近づきたい。いや、もうそろそろ社会人だから優秀な人間か。 

 

まとめ

「意識高い系」というカテゴライズで他人の努力を揶揄することをやめると楽になる。彼らから見習うべきことがあるが、揶揄していた以前までは「見習うべき点」を取り入れることに対して「プライド」という障壁があったかもしれない。他人の努力を認めることで「見習うべき点」を自分に取り入れることができ、成長できるのではないかと考える。

 

私自身も「意識高い系大学生」への嫉妬心を自覚し、彼らの努力や行動力を認めたことで吹っ切れることができた。自分も負けてられないなと。ただFACEBOOKで近況報告をするかというとそれは断じてない。自己顕示欲のための行動はするべきではないと感じる。こうやって匿名でブログを書いてはいるんだが、まあ匿名だから許して。

 

私がFACEBOOK投稿をしていないのと同様に、くれぐれも以前まで自分が否定していた「系」になることは避けるべきとも主張する。なぜなら我々自身が嫌っていたその「系」の特徴の中には、自分が絶対に許せない点もあるのだから。